本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。
現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「私は間違っていない!という部下」です。
こまった部下
この事例は、管理職である方からの相談です。
あなたが職場の管理職であれば、一人くらい苦手な部下がいることでしょう。苦手まではいかないまでも、どうかかわったら良いか悩んだ人は多いと思います。たとえ管理職でなくても、後輩の対応に困る場面に遭遇したことはあるでしょう。
いつの時代も、やたら上司に盾突くような部下はあります。職場の不満を言ったり、管理職の運営に文句を言ったりするのです。前向きな提案や批評なら良いのですが、どこか挑戦的で、しばしば上司の神経を逆なでし、困らせる人がいます。
上司は対応に困り、強く指導し叱責することになります。そうなれば後は口論です。その挙句、部下は「私は間違っていません!」と吐き捨てるといった具合です。
悩む上司
こうした時、上司は悩みます。まずは優しく接して、何が不満なのか聞こうとします。上司が訪ねれば関係上、多少は部下も話を合わせてくれるでしょう。こうして他愛ない会話ができれば、上司は安心します。
ところがしばらくたつと、部下はまだ不満や文句を言い始めます。多忙な中、上司はまた優しく接しようとします。しかし、それもすぐ限界が訪れます。
多くの上司に潤沢な時間はありません。基本的には、管理職になれば仕事の総量は増えます。もちろん部下は一人ではありませんし、ともすれば同じような不満を抱えた部下はほかにもいます。その一人一人に同じように時間を割くことは、現実にはできないのです。
不満を募らせる部下
満足に話を聞いてもらえなくなった部下は、不満を募らせます。上司はまた部下の対応に迫られます。こうして負のスパイラルが生じ、しだいに優しく対応できなくなります。上司の精神的安定は損なわれ、だんだん部下が疎ましくなります。
思い通りに動いてくれず、さらには自分の時間を奪うのですから、不満ばかりを口にする「ダメな部下」に見えてきます。そして、上司は自分が正しいと思い込み、ダメな部下を指導しようと考えます。こうなってしまえば、あとは叱るしかありません。
強権的に振舞い、部下を支配します。そして一層部下との関係が険悪になるのです。
なぜ「間違っていない!」というのか
上司と部下が良くない関係になれば、お互い顔を見るのも嫌になります。ところがここは職場です。顔を合わせないわけにはいきません。まして、協働しないことには仕事はすすみません。
これではお互いが困るので、一応距離を縮めようとします。距離を縮め、仕事を進めるには会話が必要です。ただ、この不安定な状態で関わるのですから、早晩また諍いがおこります。
上司は仕事を進めなければなりませんから、「自分は正しい」と考えています。このため、部下が不満をぶつけてくることは仕事の障害になります。先述したように、権力を使って部下を支配しようとします。
部下は部下で、良い仕事をしたいと思いますから、「自分は正しい」と考えています。それなのに、強権的に無理やりいうことをきかせる上司がいるわけです。思い通りの仕事ができないのだから、当然「私は間違っていない!」と闘うほかなくなります。「私は間違っていない!」と大きな声を上げ、ダメな上司に闘って勝ちたいのです。
上司を言い負かせば、つかの間の快感を得られるからです。
これらは、いうなればお互いの正義をぶつけ合っている状態です。国家間であれば、戦争です。
本当にあなたは正しいのか
「自分は正しい」、一見美しい自己主張にみえるかもしれません。しかし正しさの主張に固執すれば、多くの場合は闘いを生みます。対人関係の視点でこれを、「権力争い」と言います。
「自分は正しい」は、相手からすれば「あなたは間違っている」です。意見・思想を否定する言葉になるのです。それがエスカレートすれば、人格否定にまで容易につながります。
権力争いに陥ってしまえば、当事者での対人関係の修復は極めて困難になります。職場であれば、チームの破滅です。これでは、とても協働してよい仕事などできません。
思い当たる場面や職場はないでしょうか。
どうすればいいのか
では、部下から「私は間違っていない!」と主張された場合、どうすればいいのでしょうか。
まずは、部下に対する自分の振る舞いを真摯に振り返りましょう。そこまで言わせてしまっているのはなぜなのか、考えてみるのです。こうした上司は、おそらく部下と対等な対人関係を築けていないのです。事例のように、職務上の権力を振りかざした関係になっていませんか。
対等な対人関係でないということは、対話ができていないのです。「いいや、部下とはしっかり話している!」と反論があるかもしれません。確かに話はしているのでしょう。冒頭の事例の上司も、時間をとって部下の不満をきいています。ただ、それは会話や討論です。対話ではありません。
対話とは、「言語によってお互いの合意を形成すること」です。
対話とは
対話の話をすると、「では対話をするにはどんなトレーニングが必要ですか?」、と質問をうけます。
私の提案を伝えます。
もし目の前の人と話ができる余地があるのなら、相手の気持ちを一度全身で聞いてみるのです。その際、相手が話すのにどれだけ時間がかかっても反論や意見をせず、まずは聞くことに徹してください。聞いているとき、相手が何を話しているのかをよく考えましょう。
こうした経験をつめば、いずれ「あぁ、おもしろいな、そんな考え方もあるんだな」と聞けるようになります。これができるようになった時、いままでどれだけ人の話を聞けていなかったかに愕然とするでしょう。
そして相手が十分話せた後、あなたが困っていることや意見を伝えてもかまいません。
お互いがもし「一緒に良い仕事をしたいとか、一緒に何かを成し遂げたい」という意思があるのなら、もっとシンプルに「一緒に過ごしたい」と思うのなら、相手と2人で「これからどうすればいいか」を話し合います。
これが、対話です。
「話せばわかる」ではない
これを聞いて「なんで私が、下手に出ないといけないの!」と感じたかもしれません。でもこれは、下手に出ているのではありません。
対話とは、討論・命令・指示・説明・説得ではありません。たとえ意見が合わなくてもいいのです。円満解決でなくてもいいのです。「あなたとは今回、意見が合いませんでしたね。では、私たちはどうしていきますか」、という合意に意味があるのです。
これが対等な関係であり、対話なのです。こうして2人が根気強く対話を重ねることは、一定の合意形成につながります。
おわりに
「私は間違っていない!」をテーマに、上司と部下の関係を考えてきました。今回は上司からの相談でしたが、これはすべての対人関係に当てはまります。他者との関わりでずれや摩擦が生じたとき、あなたは「私は間違っていない!」と考えていませんか。
この機会に、対人関係を振り返っていただけると嬉しいです。
「話せばわかる」と言っているのではありません。わかるを前提に関わることには危うさがあります。分かりあうためではないのです。人は本来分かり合えないと思うから、対話するのです。
あなたはどう考えますか。
この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。