本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。
現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「昇進できない」です。
会社員として働いていると、人事異動を経験します。毎年、年度末となるとすこし落ち着かない気持ちになる人も多いはずです。
4月に新人を迎えると教育に注力する必要がありますし、新しい役割を頼まれるかもしれません。まして部署が変わったり、職位が変わったりしたら大きな環境の変化です。
多くの看護師は会社員ですから、人事異動を意識しない人はあまりいないでしょう。
昇進を意識する
人事異動には昇進もあり得ます。この昇進について、ことさら重きを置く人があります。毎年3月になったり、上司の誰かが退職したりすると、「次は自分が師長・主任だろう」と期待します。心が躍り、いつもより仕事にも熱が入ります。その変化は他者から見てもわかるほどです。ところがいつまで経っても声がかからず、いつものように4月を迎えます。
大変落胆し、仕事のパフォーマンスが落ち、その姿は痛々しいものです。こうして「昇進できない」と嘆くのです。
昇進を露ほども期待していない人、昇進などに関心がない人からすれば信じられない思考でしょうが、「昇進できない」と嘆く方は相当数いらっしゃるように思います。
「昇進できない」と嘆くとき、それは大変感情的な状態です。「こんなに頑張っているのに、誰も自分を認めてくれない」、「私を選ばない上司は、人を見る目がない」、「なんであんな人が昇進するのか」、「あの人は上司に取り入ったに違いない」と他者を批判します。
あるいは、「どうせ自分なんかダメなんだ」、「自分には能力がないから」と自己否定をします。いうまでもなく、これは健康的な思考ではありません。
場合によってはその様な思考の人たちが集まり、不満をぶちまけあうことも予想されます。こうすれば、「やっぱり自分は間違っていなかった。わかってくれる人がこんなにいる」と、思えることでしょう。
なぜ昇進したいのか
ところで、なぜそんなに昇進したいのでしょうか。
「いやいや、誰だってそうだろう」、「組織人なら当然の欲求だ」、「向上心があるのは素晴らしい」という意見も理解はできます。ただ、「誰だって・当然の欲求」は言い過ぎです。昇進に関心がない人も多くいるのです。
また、果たしてそれは「向上心」なのでしょうか。
昇進とは職位が上がることです。確かに職務上の権限は広がり、できることは増えます。組織をより良くするため、社会に貢献するため、あるいは自身の成長のために昇進を望むことは、向上心と言えます。昇進に伴う責任を負うことも、理解しているように見えます。
一方、昇進できないことを理由に他者批判・自己否定を繰り返す人には、向上心とは異なる思考を見て取れます。それはおそらく「承認欲求」でしょう。
組織をより良くするため、社会に貢献するため、あるいは自身の成長のために昇進したいのではありません。「誰かに認められたい」のです。
先述したように、昇進すれば職務上の権限は広がります。関わる人も増え、自分が決められることも多くなります。言い換えれば、他者に影響を与える範囲が増えるのです。これを悪用したいのです。
師長・主任、あるいは部長・副部長などと皆に呼ばれ、自身のふるまいによっては周りが遠慮して関わるようになるでしょう。これを尊重されたと勘違いもできます。こうして、誰かに認められたような気になりたいのです。
もし昇進出来たら
このように承認欲求を求め続ける人が、仮に望み通り昇進できたとしましょう。
「私は認められた。自分には価値がある」と、きっと思うでしょう。やる気が起こり、仕事にも熱心に取り組みます。他者にも優しくできます。仕事も家庭も充実したような気持になります。まさに有頂天です。それで一時は良いかもしれません。
ところが、これも長くは続きません。あっという間に慣れてしまいます。新たな職位・環境でも問題は生じます。上手くいかないことも当然あるでしょう。それに伴い、自身の不満も少しずつ募ります。
こんな時どうするかわかりますか。
「こんなに頑張っているのに、誰も自分を認めてくれない」と、再び思うのです。ふと周りをみると、自分より先に昇進する人がいる。今の職位では何もできない。やっぱりもっと偉くならないといけない、と考えるのです。
承認欲求の底なし沼にはまり、負のスパイラルに自らはまっています。
昇進しようがすまいが、常に不満なのです。これは昇進に関わる問題ではありません。自身の対人関係の課題なのです。
自分にできることは何か
このままでは、精神的に不健康です。いつまで経っても不満を語り続ける人になります。そんな人生をあなたは望むでしょうか。
ではどうすればよいのか。
まずは、昇進を必要以上に意識しないことです。いうまでもなく、人事はあなたが決めることではありません。昇進したい・したくない以前に、どうしようもないのです。いくら頑張っていても認められないことはありますし、その逆もしかりです。
人事はあくまで他人が決めた評価にすぎません。正当な評価とは限らないのです。他者の評価に一喜一憂するなど、不毛だと思いませんか。
他者の評価に関わらず、職位に拘らず自分が今できることに注力する。ただそれだけです。もしも昇進できたのなら、「自分の仕事が評価されたのだな」と自分自身の貢献を認めればよいのです。
つぎに、自分の承認欲求を認めることです。苦痛を伴うでしょうが、一度自分の感情をありのまま見つめ受け入れるのです。
その承認欲求は、本来誰にむけられたものなのか。職場の上司や部下なのか。あなたが認められたいのは、本当は誰なのか。そして、認められないと生きていけないのか。よくよく考えてみるのです。
その承認欲求は他者から与えられた、植え付けられたものだと気づける日が来ます。
ただその作業は、一人では難しいかもしれません。本を読む、講義を受けるなど他者の助けがあるほうが良いと考えます。信頼できる相談者を見つけたり、カウンセラーの力を借りたりするのも一つの方法です。新しい価値観を得て、思考を変えるのです。
慣れ親しんだ対人関係の只中にいると、「不満だけどこのままでいい」となりやすいです。人は変わらないことが一番楽なのです。
健全な別れ
まして、承認欲求を植え付けている人と常に一緒にいるのならなおさらです。それらの人と、一度距離を置くことをお勧めします。喧嘩や絶縁を勧めているのではありません。
精神的・空間的・時間的な距離をとるのです。どれだけ他者に依存していたか、気づけるはずです。
それに気づけたとき、周りを見渡してみてください。誰が依存的な関係を持ち、さらに他者に強要しているかがわかります。職場だけではありません。家庭や友人、パートナーとの関係にも当てはまります。
対人関係において依存と自立のどちらが健全か、常に考えてほしいのです。
おわりに
「昇進できない」と訴える人をテーマに、対人関係を考えてきました。健全な向上心、それはあくまで自分自身で完結するものです。他者と比べた時点でそれは争いであり、容易に承認欲求に繋がります。
私は個人としても精神的な自立を目指したいですし、そうある社会が健全と考えています。
あなたはどう考えますか。
この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。