本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。
現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「有休を控えろという上司」です。
厳しい指摘
もし、あなたが上司から「有休を控えろ」と言われたら、きっといい気持ちはしませんね。
今回は、主任役割(一般企業なら係長)にある看護師さんからの相談です。所定の休日に加え月に2~3日の有休を希望すると、直属の上司である師長(科長)から「有休を控えろ」と指摘をうけるそうです。
理由を師長に訪ねてみると、「あなたは主任なのだから有休は控えるのが当然。管理職は常に職場にいるのが役目です」と言い切ります。主任看護師さんは、絶句してなにも言えなかったようです。
上司との関係
相談者の主任看護師さんは、子育てを含め家庭や地域社会での役割があります。個人事業主である夫の家業支援をし、さらにボランティア活動もしています。公私ともに充実した生活を送っており、月に2~3日の有休休暇は常識の範疇に思えます。
勇気を振り絞ってこれらを師長に伝えると、「そんなことは、あなたの都合でしょう。カレンダー通りの休日でやりくりしてください。あなたの休暇が多いと、部下に示しがつかないでしょう」と畳みかけられたのです。
相談者は自身が間違っていないと考えていますが、上司の指摘に困り果て相談に来られました。「やはり自分が世間知らずなのでしょうか。師長が言うようにするのが、正しい会社員・管理職の姿なのでしょうか」と話します。
主任と師長は部下と上司ですから、相談者は苦しい立場だと察します。そしてここまでのやり取りを見ると、二人の関係性はあまり良いものではなさそうです。この師長はパワハラと言われても仕方がありませんが、その自覚は無いようです。もし上司に妥当な言い分があるとしても、伝え方は適切ではありません。
どうすればいいか
主任はこれまで通り、有給休暇を変わらず希望すればよいと思います。師長からいくら圧力をかけられようが、堂々と休めば良いでしょう。職場で合意された休暇ルールに則っているなら、まったく問題ありません。後ろめたく感じず、休めばよいと思います。
仮に何らかの理由で、職場で「有休は、原則月に1日まで」と皆で決めたのなら、指摘をうけるのは理解できます。たとえそうだとしても、師長は相談者にお願いしなければならないと思います。それをせず、手っ取り早く自分の意見を通そうとしているのです。師長が職務上の権力を悪用して、圧力で屈服させようとしているから相談者は不快なのです。
上司は困っている
師長の言葉をみると、「困っている」のだと察します。安全な職務遂行のためには、一定数の人員が必要です。人員確保に、神経をすり減らしておられるのだとも考えられます。それはもちろん、相談者の主任も知っています。それでも、仕事とプライベートの両立を何とか図ろうとしているのです。
そうであれば、師長には誠実な対応が望まれます。端的に言えば、主任に対等な立場で相談するのです。
例えば、「主任が休むと、職場の士気が下がる気がして心配です」とか、「主任に比べて若い人は有休があまりないから、不公平に思われるんじゃないかと思うんです」と言われるとどう感じますか。また、「自分(師長)は間違っているかもしれないけど、上司は職場にいるものだと思うんです」ということもできます。そして、「有休を少し控えてもらえると助かるのですが、考えてもらえませんか」とお願いするのです。これらの言い方のほうが、聞く余地がありますね。
さらに言えば、「あなた(主任)が職場にいてくれると、チームワークが良くってトラブルが少なくて助かります。だからできれば、居てほしいんです」だと、大きく印象が違います。冒頭で師長の指摘を紹介しましたが、師長の言いたいことはおそらく同じです。こう言われれば、師長に少しは協力してもよいと思えるかもしれません。
精神的自立を知らない
ただ、それでも必要があるなら休めばよいと考えます。休むか休まないかは、あくまで自分で決めることです。たとえ人員が少ないとしても、限られた条件でより質の高い仕事をどう提供するかを考えるのは、師長の仕事です。圧力をかけて部下の休みを減らすのは、良い方法とは思えません。
大変残念ですが、このような上司にはよく遭遇します。看護師以外でもしばしば相談を受けます。おそらくこの師長は、かつて自分の上司から同様の扱いをうけたのだと想像します。指導と称したパワハラまがいの接し方をされ、それをどこかの時点で正しいと確信したのです。自身が部下だった時には不快だったはずですが、いつしか思考停止に陥り自分がされたことを繰り返すのです。
いくら不快でも他者の教えを実行すれば、人のせいにできます。「自分は厳しい上司のおかげで成長できた」と言えます。もし、部下に批判されても「こうするしかなかった。一生懸命だった」と言えば済みます。こうして、不適切な関係は世代を超えて受け継がれていきます。これは、虐待に通ずる問題だと私は考えます。
この師長は責任を負うことを避けています。言い換えれば、精神的に自立できていないのです。いくら職位が上がっても、年齢を重ねても一生自立できない人はいます。こうした人は表向きには威厳を保とうとしますが、よく観察すればきっとわかります。
不安定さが言動の端々に現れます。
自分らしく生きる
もう一つ、師長のふるまいから察する部分があります。おそらく師長は、プライベートと仕事を両立し、生き生きとしている主任のことが羨ましくてたまらないのです。自分がやりたくてもできなかったことを、身近な部下が実現しているのです。それを見ていられないのです。
精神的自立ができていない上司は、こうして極めて単純な理由で部下を責めます。そして、部下の価値を下げようとします。これにより、相対的に自身の価値が上がったように勘違いできます。つかの間の快楽を得たいのです。ただその快楽は一瞬です。だから、ことあるごとに理由をつけて指摘をするのです。
お気づきのように、これは相談者の課題ではありません。上司である師長が、自分で気づき解決する課題です。
他人に意見を言われるということは、自由に生きている証です。あまり気にせず、自分らしく生きればよいと思います。
たぶん師長は、あなたに話したことを今頃は忘れています。関心は自分にしかないのです。
おわりに
人は生きるために仕事をしますが、仕事のために生きているわけではありません。仕事に没頭している人は依存症です。精神的に自立できていない上司は、仕事に没頭することを部下に強要します。
人生は仕事だけで成り立っているわけではありません。家族・友人との時間はもちろん、一人の時間を大切にすることで彩られ、豊かになるのではないでしょうか。どのような生き方をするか、誰でも自分で決めることができるはずです。
あなたはどう考えますか。
この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。