本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。
現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「なんとなく」を信じる勇気 -峠のアイスバーンと、ナースの静かなアセスメント-です。
最大寒波
つい先日(2月上旬)、米子での講演に向かう私の前には、今シーズン最大級とも言われる寒波が立ちはだかっていました。
雪道なんて、慣れているはずでした。これまでの人生で何度も雪国の道を走り、その怖さも対処法も、それなりに身体に刻んできた自負はあります。しかし、今回の寒波の規模を前に、私は「自分の経験」だけに頼ることは危険だと感じました。
出発前、私はAIと議論を重ねました。最新データに基づくAIは、「すぐにチェーンを巻け」「引き返せ」「出発は取りやめろ」と極めてシビアな、しかし正論すぎる警告を繰り返します。
なぜ、あえて耳の痛い正論を求めたのか。それは「慣れ」がもたらす一瞬の油断が、雪道では致命傷になることを知っていたからです。さらに、今回は多くの聴講者さんが待つ学会での講演。プロとして、その約束を確実に果たすための「最悪のシナリオ」を、冷静に把握しておきたかったのです。
私はAIの警告を「最悪の地図」として懐に忍ばせ、ハンドルを握りました。
装備はオールシーズンタイヤに、二種類のチェーンを備えた三段構え。結果として一度もチェーンを巻かずに完遂しましたが、そこには「運」ではない、脳卒中看護にも通じる興味深い世界がありました。
「可視化されたリスク」は、まだ御しやすい
最初の難所は、島根県・三瓶山周囲の路面でした。積雪は約15センチ。足首が隠れるほどのふかふかの新雪で、辺り一面の銀世界です。誰が見ても「雪山」であり、誰もが「危ない」と直感する景色。しかし実は、この状況はドライバーにとってまだ「御しやすい」部類に入ります。
なぜなら、リスクが完全に可視化されているからです。
雪を噛むタイヤの手応えを慎重に確認し、適度な緊張感を持って進むことができる。向き合う相手がはっきり見えている状態です。
これを脳外科の現場に例えるなら、SAH(くも膜下出血)の初回破裂直後の状態に似ています。
激しい頭痛・嘔吐・CTに広がる典型的な出血像。求められるのは、再破裂を防ぐための厳重な管理。スタッフ全員が最大級の警戒モードを共有し、マニュアルに基づいた「万全の準備」が機能します。そこには逃げ場のない緊張感はあっても、迷いはありません。
本当に恐ろしい事態は、こうした「派手な雪景色」を通り過ぎた後にやってきます。
静寂という名の警告 峠道のアイスバーン
三瓶山を抜け、三次市へと至る長いワインディングロード。
雪は弱まり、路面はただ濡れているだけの「ウェット」に見えます。「もう峠は越えた」と、多くのドライバーが緊張を緩めてしまう瞬間です。
しかし、そこで私のセンサーが反応しました。
タイヤが路面を叩く走行音(ロードノイズ)が、ある区間に入った瞬間に「ふっと消える」のです。
音が消える。それはタイヤがグリップを失い、氷の膜に乗ったという、最も静かで恐ろしい合図。ブラックアイスバーンです。ハンドルが羽のように軽くなる、あの不気味な感触。
地元の慣れた方からは「冬タイヤなら大丈夫」という助言も頂いていました。それは一つの真実でしょう。しかし私は、自分のハンドルから伝わる「接地感の消失」と、消えた走行音を信じました。
ここで大切なのは、慌てて急ブレーキを踏まないことです。
氷の上での急操作は、瞬時に物理的限界を超え、スピンを招きます。私は最小限のアクセル操作と、指先・臀部・大腿の感覚を研ぎ澄ませた微細なハンドル操作だけで、車の挙動をコントロールし続けました。
スパズム期という「見えない峠道」
この「音が消える瞬間」の緊張感。脳神経ナースの皆さんなら、ある情景と重なりませんか?
それは、手術を終えて一見安定しているように見える、SAH患者さんの「スパズム期(脳血管攣縮期)」の観察です。
意識レベルもクリア、麻痺もない。一見すると、平穏な道を走っているように見えます。しかし血管という名の峠道の下には、いつ脳梗塞を招くアイスバーンが潜んでいるかわかりません。
〇昨日より、返答がほんの少しだけ遅れる。
〇視線の動きが、わずかに鈍い気がする。
〇上手く言えないけれど、どこか元気がない。
バイタルサインには現れない。けれど、接している看護師の直感だけが、「走行音が消えた」ような違和感をキャッチする。
この微細なサインこそが、血管が細くなり、血流が維持できなくなる寸前の合図です。これを「気のせい」と見過ごすか、それとも「アイスバーンが潜んでいる」と察知して慎重な介入に切り替えられるか。
私たちは日々、この「静かなる予兆」と対話し続けているのです。
貢献感を持ってほしい、あなたの「静かなファインプレー」
今回、私がチェーンを使わずに峠を越えられたのは、最新のタイヤのおかげでも、私が特別なエキスパートだったからでもありません。
ただ、「路面(患者)との対話を一瞬も止めず、小さな変化に合わせた微調整を続けた」からです。
看護の現場は、華やかな瞬間ばかりではありません。貢献をほめられることばかりではありません。しかし、何事もなく一日が終わり「特に変わりありません」と申し送るその言葉は、あなたが無数の「微調整」を積み重ねた、最高のアセスメントの結果です。
〇「なんとなくおかしい」と感じてベッドサイドへ行く回数を増やしたこと。
〇わずかな変化を見逃さず、大事に至る前に先手を打ったこと。
それは誰も気づかないアイスバーンを、何事もなかったかのように走り抜ける、極めてプロフェッショナルな技術なのです。
あたりまえの大切さ
もしかすると、あなたは「自分は当たり前のことをしているだけだ」と感じているかもしれません。
でも、その「当たり前」が維持されていることこそが、患者さんが社会に復帰できるかどうかの境界線を守っています。
あなたがキャッチしたその「走行音が消えるような違和感」が、確実にひとつの命の破綻を防いでいます。
どうかその自分の感覚と、積み重ねてきた観察眼を信じてください。
誰も気づかないアイスバーンを、今日も無事に、平穏に走り抜けたあなたに。
同じ道を歩む一人として、心からの敬意とエールを贈ります。
あなたはどう考えますか。
この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。








