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対人関係

【10年後の告白】「なぜあなたは、私を叱らなかったのですか?」感情的な応酬を断ち切るリーダーの対人関係の哲学

本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。

現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「なぜあなたは、私を叱らなかったのですか?」です。

職場の「火種」と10年後の問い

誰もが職場で直面する、対応に難しさを感じる人物の存在。批判的で、感情的な言動を繰り返す人への対応は、リーダーシップにおける最も難易度の高い課題の一つです。


先日、私のもとに一人の訪問者がありました。かつて私が師長を務めていた職場で、私を激しく批判し、敵対視されていた元部下の方です。定年から10年以上が経過し、70歳代になられた彼女の訪問でした。


在職中、彼女は上司への批判に異常な熱意を注ぎ、歴代の看護師長や看護部長を糾弾してこられました。私が師長になりたての頃から、「若いから頼りない」「男性だから、女性の職場のことがわからない」と、周囲に影響を与えるような直接的・間接的な批判を繰り返されました。退職の日まで、彼女はどこか私を他の管理職と同じように「敵」として見ていたように感じています。


そんな彼女が、10年という歳月を経て、私に伝えた言葉は驚くべき真実でした。


「在職中は大変お世話になりました。あなたは、どんなに煽っても、けなしても、批判しても、決して私を叱責しなかった。泣いたり、怒ったりもしなかった。私はどうにかして師長を怒らせようと必死でした。私の態度は良くなかったと今思います。今日、私を受け入れてくれていたことにお礼を言いに来ました」


なぜ、私は彼女を叱らなかったのか。この告白は、決して単なる美談ではありません。対人関係の本質、すなわち「技術(スキル)」ではない「哲学(マインド)」が、時間を超えて人に影響を及ぼす可能性を教えてくれています。

対人関係の哲学 「対等な信頼」の実践

他の管理職が批判を恐れ、彼女を「腫れ物」として扱っていた当時の状況は、私にも重いプレッシャーを与えました。しかし、私は彼女に対して一貫した一つの哲学を貫きました。


それは、「対等な対人関係は、人の成長を助ける」という揺るぎない信念です。

彼女の言動がどれほど攻撃的であっても、私は彼女を「問題のある部下」として見下したり、感情的な「敵」として敵対したりしませんでした。彼女は、職務を遂行する一人のプロフェッショナルであり、私と同じく、職場に対する何らかの貢献の意志を持っているはずだと信じ続けたのです。


この信念に基づき、私の対応は一貫していました。


• 課題の分離: どんなに煽られても、決して叱らず・怒らず・泣かず、感情的な応酬を徹底して避けました。


• スタンスの固定: 「ほめず、叱らず、対等に接する」という姿勢を崩しませんでした。彼女の訴えに対しては、感情論ではなく、その内容にのみ真摯に対応し続けました。


私が一貫して貫いたのは、「あなたの言動に感情的に反応することはしないが、あなた自身を信頼し対等に接する」という静かなメッセージでした。この姿勢こそが、彼女の自己変容の土壌となったのではないかと考えるのです。

アドラー心理学から探る「無反応」がもたらした変容


彼女の告白、「私は師長を怒らせようと必死でした」という言葉は、私たちの関係性の深層を解き明かす鍵となります。

感情の「引き金」を無効化する

アドラー心理学では、人の行動は「目的」のためにあると捉えます(目的論)。彼女の行動は、批判を通じて私の怒りや混乱を引き出し、「自分の影響力(優位性)」を証明するという目的のために行われていたと推察できます。


しかし、私が怒りや叱責という「感情の応酬を促す反応」を返さなかったため、彼女の行動の目的は永遠に達成されませんでした。私は、彼女が引こうとした「感情の引き金(トリガー)」を、静かに無効化し続けたのです。無反応(非応酬)は、この攻撃的な行動を助長せず、エネルギーを失わせる効果を持ちます。

「横の関係」が育んだ自己変容

私が貫いた「対等に接する」という姿勢は、まさにアドラー心理学が提唱する「横の関係(勇気づけ)」の実践です。
• 「上から」:叱責や評価は、相手を「支配」の対象として捉える。
• 「下から」:媚びたり、批判を恐れたりするのは、相手を「恐怖」の対象として捉える。


私は、彼女を「否定的な部下」として見下すことなく、常に一人の対等な同僚」として敬意を持って接しました。この上下のない対等性こそが、彼女の自立と成長の可能性を信じ続けることです。

10年という時を経て、彼女の中で「私の行いは良くなかった」「もっと良い方法があった」という気づきが生まれたのは、おそらく誰かから叱られたからではありません。私が一貫して示した「横の関係」という敬意が、彼女自身の共同体感覚(より良い社会を築こうとする感覚)への気づきを促し、自発的な自己変容へと導いたのです。

成熟した対人関係を築くための3つの哲学


この体験は、リーダーシップにおいて、小手先の「技(スキル)」ではなく、一貫した「哲学(マインド)」が最も現実的な方法であることを示しています。

感情の連鎖を断ち切り、静かな「信頼」を貫く

相手が感情的な行動で近づいてきたとき、最も避けるべきは感情的な「反応」です。怒りや悲しみといった応酬は問題を悪化させ、相手にエネルギーを与えてしまうだけです。

常に冷静に、静かに、一貫して信頼の姿勢を保つことが、あなたのプロフェッショナルとしての安定性を証明します。

対人関係を「支配」ではなく「貢献」で捉える

相手の行動を「敵対」と捉えるのではなく、「満たされない欲求」の表れと捉え直す視点が必要です。

管理職として「いかに支配するか」ではなく、「いかに相手の成長を願うか」というマインドセットを持つこと。これが、「横の関係」に基づく建設的な関係構築を可能にします。

人の成長を信じ、常に「対等」に接する


究極の対人関係論は、「目の前の人は必ず成長する力を持っている」と信じ続けることです。そのために必要なのは、評価という名の支配(叱責や過度な褒め)ではなく、「対等な関わり」という敬意です。

その姿勢こそが、10年という歳月をかけても相手の心の奥底に届く支援となるのです。

おわりに

対人関係の成果は、短期的な成功や問題解決といった目に見える形では測れません。信頼関係は、「相手の自発的な成長」という形で現れます。


揺るぎない信念と一貫性が10年という歳月を経て、最も困難な関係性を真の信頼へと変容させたのではないかと考えるのです。誰かを叱らずとも、人は自ら気づき、変わることができます。私たちは、そのきっかけを提案する「対等な関係性」を築き続けることに集中するのです。

私は10年前、彼女をほめたり叱ったりしなくて良かったと思います。どんなに苦しい状況でも、相手を変えようとしてはならないことを深く実感します。

変われるのは常に自分であり、相手を信頼するのも自分なのです。

あなたはどう考えますか。

この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。

ABOUT ME
小林 雄一
脳卒中リハビリテーション看護認定看護師「看護師失格?」著者 看護師の育成に取り組むと同時に、看護師の対人関係能力向上に貢献するため、面談・セミナー・執筆活動を行っています。