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対人関係

交錯する一瞬に学ぶ:バイクの「ヤエー」が教えてくれた人間関係の極意

本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。

現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「交錯する一瞬に学ぶ」です。

ヤエーを知ってますか?

あなたにはどんな趣味がありますか?

私にもいろんな趣味があります。中でも、オートバイでのツーリングは心身ともにリフレッシュできる素敵な経験です。ツーリングに出ると、日常では見過ごしがちな「一瞬の美しさ」に気づかされます。早朝の山道の静けさ、海辺の風の匂い。


そんな風景の中に溶け込んでいると、ふと、対向車線を走る見知らぬライダーと交わす挨拶、「ヤエー」が視界に入ってきます。

【ヤエーとは?】

バイク乗りの間で行われる独特の挨拶文化です。ツーリング中、対向車線のライダーとすれ違う際、互いに手を上げたり、ピースサイン(Vサイン)を交わしたりする行為を指します。語源は「Yeah!(イエーィ!)」という喜びの声で、これを打ち間違えたものと言われています。これは単なるサインではなく、お互いの安全を祈るエールであり、「この旅を楽しんでいる仲間だ」という無言の確認でもあります。

このわずか数秒で完結する儀式に私はふと、普段私たちが悩む人間関係の本質が、極めて純粋な形で凝縮されているのではないかと感じたのです。

ヤエーにおける「今、できること」への集中

ヤエーの行為は、極めてシンプルです。私が相手にできることは、ただ「手を上げて、良い旅を願う」という行為だけです。それは「今、この時」目の前の相手と良い関係を築きたい、という私自身の純粋な意思の表明に他なりません。そこには過去のしがらみも、未来の打算も一切ありません。


そしてこの行為が潔いのは、相手の反応を気にしない点にあります。


確かにヤエーを返してもらえたら嬉しいし、今日は何か良いことがありそうなどと嬉しくなります。

一方、もしヤエーが返ってこなくても、私たちはそのライダーに向かって憤慨したり、怒ったりはしません。なぜなら私たちは本能的に、相手が挨拶を返すかどうかは私ではなく「相手の課題」だと理解しているからです。相手は運転に集中していたのかもしれない。あるいは、単にこちらの挨拶に気づかなかったのかもしれない。もしかしたら恥ずかしかったのかな、とも思います。


私はその「相手の事情」を詮索することも、批判することもありません。私の「手を上げる」という行為は相手の反応とは無関係に、その瞬間に完了しているのです。相手が反応してくれても、くれなくても構わないのです。

過剰な執着と「課題の分離」の欠如


ここで、私たちが日常で直面する対人関係との決定的な違いが見えてきます。


ヤエーを返されなかったからといって、そのバイクを追いかけ、無理に停止させて「なぜ挨拶を返さない!」「非常識だ!」と文句を言うライダーはたぶんいません。そんな行為は、あまりにも滑稽で、危険で、誰もが「異常だ」と感じるでしょう。


しかし、日常の人間関係ではどうでしょうか。私たちは驚くほど頻繁に、「ヤエーを返さない相手を追いかける」ような振る舞いをしてはいないでしょうか。


• メッセージにすぐに返信がないと、不安になり何度も催促する。
• 自分の手伝いに対する感謝の言葉が薄い・ないと、腹を立て文句を言う。その人の評価を下げる。
• 自分のアドバイス通りに相手が動かないと、執拗に説教をする。

私たちはしばしば、自分が差し出した「ヤエー」に対して、相手の「返礼」までをコントロールしようと執着します。そして、期待通りの反応が得られないと「裏切られた」「私は軽視されている」と感じて、苦しむのです。ヤエーではそんなことはないのに、不思議ですね。

この苦悩から解放される道は、「誰の課題か」を明確に見極めることです。哲学的な考えを借りるならば、対人関係のルールとは「私の課題」に集中し、「他者の課題」に介入しないという「課題の分離」をすることです。

ヤエー文化から学ぶ、人生を軽くするヒント


結局のところ、ヤエーという行為が私たちに教えてくれるのは、対人関係の真の目標とは何か、ということです。


それは、相手にどれだけ認められるか、愛されるか、感謝されるか、という「結果」ではありません。もしそうだとすれば、私たちは一生他者の反応という波間に漂う、小さな木の葉のような存在になってしまいます。誰もが自分の機嫌や、自分の行動を他人に委ねたいとは思わないはずです。人間は、そんな依存的な存在ではないと思います。

私がバイクの上で手を上げたとき、私の心には「良い旅を」という純粋な気持ちがあり、その気持ちを行動に移した。つまり、「今この瞬間、自分自身が相手に対して良い貢献をしようと努めた」という、行為そのものが一番重要なのです。


「返事がなくても構わない」と割り切れるのは、その「自分の行動」だけで、私の貢献がすでに完了しているからです。私たちは、返事をしない相手を憎む必要はないのです。

相手の反応を気にしすぎてはいないか

考えてみてください。私たちが日常の人間関係で感じる多くの重荷や不安、それは「相手の反応」を過度に気にし過ぎていることから来ています。「嫌われたらどうしよう」「変な人だと思われたらどうしよう」と。でも、それは相手がどう思うかという「相手の課題」です。何をしても嫌われるときは嫌われるし、何もしなくても同じです。相手が自分を嫌うかどうかは、誰にもコントロールできません。

相手があなたを嫌っているのではありません。あなたが、「嫌われた」と意味づけしているのです。

ヤエーのように、「私は挨拶をした。それ以上は相手の自由だ」と、自分の行動と他者の反応をきっぱりと分ける潔さを持てたら、どれほど心が軽くなるでしょうか。


もし、あなたが誰かに優しくしたのに報われなかったと感じたなら、どうか思い出してください。あなたの「ヤエー」は、相手が返事をしなくても、その瞬間あなた自身を善意で満たし、あなたが良い人間関係を築こうと努力したという事実がそこにあるのです。その貢献感こそが、私たちの心を満たし、次の行動へのエネルギーになります。

そして、「相手がヤエーを返さなかったとしても、喜んでいたかもしれない」と思っていけない理由はありません。

対人関係において、常に変われるのは自分だけです。相手を変えようとしてはいけないし、そもそも変えることはできないのです。

おわりに

私はバイクを降り日常の雑踏に戻った時も、あの山道で学んだ「ヤエーの哲学」を胸に抱きしめていたいのです。

「他者の反応を気にせず、自分のやるべきことに集中する勇気」。その一歩を踏み出すことが、私たちの対人関係をより自由で軽やかにしてくれる、最も確実な道筋だと信じているからです。

対人関係は意外なほどシンプルなのかもしれません。今、この一瞬の出会いを大切に生きる。やってみる価値はあります。

あなたはどう考えますか。

この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。

ABOUT ME
小林 雄一
脳卒中リハビリテーション看護認定看護師「看護師失格?」著者 看護師の育成に取り組むと同時に、看護師の対人関係能力向上に貢献するため、面談・セミナー・執筆活動を行っています。