本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。
現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「イライラする」です。
だれでもイライラする
イライラする。どんな人でも一度は感じたことがあるでしょう。
看護師さんであれば高度化・専門化する医療の現場で、以前とは比べ物にならないくらいの心身の負担が生じていると思われます。
仕事だけならまだしも、生きていくためには当然生活をしなければなりません。家族があるなら、ともに行きていかねばなりません。子育てや介護などがあれば、ゆっくり休むこともままなりません。誰にとっても平等に時間があると同時に、時間は有限です。やることが多く、それが思い通りにすすまなければイライラもするでしょう。
いつもイライラする?
ただ「いつもイライラしている」のでは、健全な生き方とは言えません。イライラしていれば周りの人にも影響を及ぼします。
何よりストレスは溜まる一方で、自分自身も生きづらいと思われます。このようなイライラが治まったあと、ふと冷静になった時「イライラしてはいけないな」と多くの人は感じるはずです。
それなのに、またイライラしてしまいます。なぜなのでしょうか。ここで、人がイライラする目的を考えてみましょう。ここで注意したいのは原因を見つけるのではなく、目的は何か考えることです。原因であればいくらでも見つかりますが、解決の手助けにはならないと思います。原因、つまりイライラする理由は限りなく存在するからです。そうであれば、原因には着目しないほうが賢明です。
人がイライラする目的
では、イライラする目的は一体なんなのでしょう。ポイントは「イライラする」という言葉にあります。
あなたは一人でいるとき、「イライラする」と言いますか。一切無いとは言いませんが、一人で「イライラする」と言っている姿はちょっと不自然です。
「イライラ」を言い換えるなら、「不安である」とか「気持ちが落ち着かない」、「気が立っている」、あるいは「身の置き所がない」などでしょう。こう見ると、「イライラ」は様々な感情を内包した表現に見えます。
また、イライラはただ感じたのではありません。おそらく、誰かに向けたメッセージなのです。実は周囲の他者に、「自分が不安で気が立っておりつらい」と言っているのです。さらに言えば、「この気持ちを誰かに聞いてほしい、相手にしてほしい、慰めてほしい」と思っているのです。
「イライラする」と言えば、周りの人はあなたを心配します。「大丈夫?体調悪い?」と労わってくれます。あるいは八つ当たりされるのを恐れ、腫れ物に触るように扱ってくれます。
人は、孤独を恐れます。そのため、時に他者の関心を引こうとします。特に、精神的自立ができていない人は、他者の関心を引くことに異常に拘ります。関心が引ければ、快感を得られるからです。もっと強い言葉で言えば、他者を支配できるからです。
私は人が「イライラする」目的はこれだと考えます。
他者を支配してはいけない
ただ、これでは周囲の人を振り回しているだけに過ぎません。
常にだれかを支配しようとしているのです。支配・被支配が、適切な対人関係とは言えません。それは「やるか・やられるか」の関係ですから、一生穏やかな日は訪れません。
決して、イライラするなと言っているわけではありません。イライラすることも時にはあるでしょう。その感情を武器にするな、と言っているのです。そのイライラはなぜ起こるのか、平穏で居られないのはなぜなのか、考えてみるのです。
自分の心身の健康は、どこまでいっても自分の課題なのです。誰のせいにもできません。これに向き合うことができない人が、他者に責任転嫁をするために「イライラする!」と言うのです。
こうしていれば、自分の精神的未熟さを認めなくて済みますし、成長する必要もなくなります。すべて他人が悪いと言い続けることができます。それはひと時の快感を得られるでしょうし、「悪いのはあの人、可哀そうな私」と悲劇のヒーロー・ヒロインを演じられます。
ただ果たして、それは幸福な生き方なのでしょうか。
私にはできることがある
ここまでお話ししてきたことは、決して特殊なことではありません。難しく考える必要もありません。意外なほど、簡単に解決できるかもしれないのです。
しっかり休んで、よく食べてよく寝る。そしてよく遊ぶのです。遊ぶには働くことも含まれます。ただ、それだけです。
これらは本来とても簡単なはずなのですが、現代人の多くはできていません。
例えば1日、スマホもパソコンも触らず過ごしてみてください。誰かに与えられた行動ではなく、自分らしい過ごし方を取り戻すのです。心を休めるのです。快樂でなく幸福を体感すれば、イライラしている暇などありません。少なくとも、イライラしたときに人に依存するような生き方にはならなくなるでしょう。
おわりに
「イライラする」をテーマに人の生き方を考え、その対策を提案しました。どんな言動も、決して一人で完結してはいないのです。何か目的があり、人はそうしているのです。すべての課題は対人関係にあり、そこから逃れることはできません。
ただ、一見煩わしいその対人関係から喜びや幸福を感じることができるのです。
イライラを他人にぶつけ不健全な依存関係を持つのか、精神的成熟を目指し自立した対人関係を築くのか。どちらを選ぶこともできます。
あなたはどう考えますか。
この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。