本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。

現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「いつか」を「今」に変える生き方」です。

出会いと別れ

人生を歩んでいく中で、私たちはさまざまな出会いと別れを繰り返します。 若い頃は「別れ」といえば、卒業や転勤、あるいは人間関係の掛け違いといったものが大半だったかもしれません。しかし、少しずつ年齢を重ね、子どもが独立し、親も年を老い、あるいは自分自身も人生の折り返し地点を過ぎたことを実感するようになると、「別れ」の質が少しずつ変化してくるのを感じます。

最近、私にとって忘れられない出来事がありました。 長年お世話になっていた、馴染みのバイク屋さんとの突然の別れです。

いつも当たり前のようにそこにあり、軽口を叩き合い、愛車の調子を診てもらう場所。しかし、その関係が永遠ではないと思い知らされたとき、私は初めて気づかされたのです。私は単に「客と店主」という利害関係の中にいたのではなく、かけがえのない「友人」としての関係性を彼と築いていたのだ、と。

人は失って初めて、その関係の深さに気づくことがあります。予期せぬ関係の終焉、そうした出来事に直面するたび、私は強く思うようになりました。

「やりたいことは、今やろう」 「人生で一番若いのは、間違いなく『今』だ」 「会いたい人には、今会っておこう」

理由をつけて後回しにするのではなく、今日という日を、今という瞬間を大切に生きる。その決意が、私の中である一つの小さな行動を引き起こしました。

「自分の一部」だった存在に気づくとき

10代の頃から、いつも日常の背景に流れていた音楽がありました。 サザンオールスターズ、そして桑田佳祐さんの楽曲です。

かといって、私は桑田佳祐さんの熱狂的なファン(いわゆる「追っかけ」)だった自覚はありません。毎回CDを欠かさず買っていたわけでもなく、「大好きだ」と声高に主張したこともありませんでした。

しかし、自分のこれまでを振り返ってみたとき、驚くべきことに気づいたのです。 甘酸っぱい青春の思い出にも、仕事で壁にぶつかった夜にも、家族とドライブをした記憶の中にも、いつも桑田佳祐さんの曲がありました。そして気がつけば、どの楽曲も歌詞を見ずに自然と口ずさむことができる。

「ああ、自分は特別なファンだとは思っていなかったけれど、桑田佳祐さんという存在は、自分の人生の一部だったのだ」

そう気づいた瞬間、胸の奥から「今、会っておかなければ後悔する」という想いが湧き上がってきました。 いつかライブに行ってみたいと思いながら、仕事や家庭の忙しさを理由に後回しにしていた自分を捨て、意を決して応募しました。その結果奇跡的に当選し、実際のライブ会場へと足を運ぶことができたのです。

70歳のエネルギーが教えてくれた「生きる姿」

ステージの上に立つ桑田佳祐さんは、今年で70歳を迎えられます。 しかし、そこにいたのは「年老いた人」ではありませんでした。年齢という概念そのものを持ち出すことが憚られるような、全身全霊のパフォーマンス。織り交ぜられた語り、魂を揺さぶるような歌声と圧巻のステージングを肌で感じたとき、「感動した」という言葉すらあまりに拙く思えました。

桑田佳祐さんがステージ上で見せてくれたのは、単なるエンターテインメントではありません。「今この瞬間を、命を燃やして生きている人間の姿」そのものでした。

私はその姿に触れ、強く思いました。 「自分もまた、明日生きている保証はないのだ」と。

これは決して悲観的な意味ではありません。明日が終わるかもしれないからこそ、今ある時間を惜しみなく使い、悔いのないように生きたい。自分にとってかけがえのない存在や、会いたいと思える人に、躊躇なく会いに行きたい。そう強く実感したのです。

思い返せば、こうした大切な出会いや存在は、私たちの日常の中にすでにたくさん転がっているのかもしれません。ただ、日々の忙しさや「いつでも会える」という錯覚の中で、私たちがそれに気づいていないだけなのではないでしょうか。

「今が一番若い」という真理と、年を重ねる恐怖との付き合い方

少し前、私が深く尊敬しているアドラー心理学の哲学者・岸見一郎先生のセミナーに参加する機会を得ました。「今、逢いたい」と思ったのです。質問コーナーで勇気を出して挙手し、直接対話させていただく時間をいただいたのですが、その短いやり取りの中で、私は大きな「勇気」をいただくことになりました。

私は若い頃から、ずっと「歳をとること」に対して漠然とした不安を抱いていました。体力が衰え、できることが減り、人生の選択肢が狭まっていくような気がしていたからです。

しかし、桑田佳祐さんや岸見先生をはじめ、人生の先輩とお呼びできる方々と接する中でその不安、いや恐怖はガラガラと崩れ去っていきました。彼らは前述のように、さまざまな悩みや葛藤を抱えながらも、今この瞬間を極めて生き生きと、情熱を持って生きておられます。

そして、人生の先輩方は私に向かってこうおっしゃるのです。 「あなたは、まだまだ若い」と。

確かにその通りなのです。過去を変えることはできず、未来を今生きることもできません。私たちが手にしているのは常に「今」だけであり、これからの人生において、「今日の自分が、一番若い」のです。

先輩方の背中は、私にこう教えてくれました。「歳をとることは、決して衰退ではない。生き生きと生きる術を重ねていくことなのだ」と。

アドラー心理学から読み解く「対人関係」と「共同体感覚」

では、この体験と気づきを、私たちの日常における「人との関わり(対人関係)」にどう生かしていけばよいのでしょうか。ここで、アドラー心理学の核となる概念である「共同体感覚」と「貢献感」が大きなヒントになります。

アドラー心理学において、対人関係のゴールは「共同体感覚」を持つことだとされています。共同体感覚とは、簡単に言えば「他者を仲間だと感じ、自分はここに居場所があると感じられる感覚」のことです。

私たちは往々にして、他者を「自分を評価する存在」や「比較対象」として見てしまいがちです。しかし、馴染みのバイク屋さんとの別れや、桑田佳祐さんのライブで感じた「人生の一部」という感覚は、まさに「自分は大きな繋がり(共同体)の中に生きている」という実感そのものでした。

「他者貢献」は、誰かの役に立っているという「主観的感覚」でいい

岸見先生も解説されるように、アドラー心理学における「貢献」とは、必ずしも目に見える大きな成果を上げることや、他者から感謝の言葉をもらうことではありません。

「私は誰かの役に立っている」という自分自身の主観的な実感(貢献感)こそが、人に生きる勇気を与えます。

私が人生の先輩方から「歳をとるのも悪くないな」「今を生きるって素晴らしいな」と勇気をもらったように、今度は私が生き生きと「今」を楽しむ姿で過ごすこと。私の後輩や若い世代がそれを見て、「歳をとるのも悪くないな」「大人になるのが楽しみだな」と、もし感じてくれたとしたら。

それこそが、立派な「他者貢献」であり、共同体感覚への第一歩なのではないでしょうか。

「縦の関係」から「横の関係」へ

対人関係において遠慮や躊躇が生じるのは、無意識に相手と自分を比べる「縦の関係(評価や比較)」に縛られているときです。

「相手にどう思われるだろうか」「今さら連絡したら迷惑ではないだろうか」

しかし、人間関係を「横の関係(対等なパートナーシップ)」として捉え直したとき、見え方は一変します。年齢や立場が違えど、互いに人生という時間を歩む「仲間」である。そう思えたとき、余計なプライドや躊躇は消え、「今、会いたいから会いたいと伝える」「感謝を、今伝える」というシンプルで勇気ある行動が踏み出せるようになります。

対人関係能力を高める 3つの実践

  1. 「後回し」の口癖を捨て、今伝える  ⇒「いつか」「また連絡します」を止め、今感謝や想いを言語化して届ける。
  2. 人との関係を「横の関係(仲間)」として捉え直す ⇒ 評価や忖度にとらわれず、年齢・立場を超えて相手を人生の「仲間」としてリスペクトする。
  3. 自らが「今を楽しむ」⇒ 自分の人生を生き生きと楽しむ姿そのものが、周囲への最大の勇気付け(他者貢献)になる。

「いつか」を「今」に変える生き方

私が馴染みのバイク屋さんとの別れで感じた寂しさは、同時に「人との繋がりの愛おしさ」を教えてくれました。 そして、桑田佳祐さんの圧倒的なステージや、岸見一郎先生との対話は、「今この瞬間を本気で生きる」という勇気を授けてくれました。

私たちはともすれば、「準備が整ったら」「時間ができたら」「お金が貯まったら」と、大切な人との時間ややりたいことを「いつか」という不確実な未来へ先送りにしてしまいがちです。

しかし、人生において「今」より若い瞬間は二度と訪れません。

あなたにとって、人生の一部になっているような大切な人は誰でしょうか? いつか会いたいと思いながら、連絡を先延ばしにしている友人や先輩、恩人はいないでしょうか?

ここで私は、日頃の学びや講義の中でも大切にしている一つの問いを思い浮かべます。

「逢いたい人に逢う」ということは、遠くにいる人や、なかなか会えない特別な人だけを意味するのか。

物理的な距離はすぐ近くでも「心が逢えていない」人

私は最も大切なことは、まず傍にいる人と向き合うことだと思います。わたしもそうあり続けたいです。

そばにいる人、それは患者さんかもしれないし、同僚・上司・後輩かもしれません。でももしかしたら、それはもっと身近なひとなのかもしれません。

距離が近いからこそ「いつでも向き合える」と後回しにせず、いま隣にいる人と心を交わすこと。それもまた、大切な「逢う」ということなのだと思うのです。

今、あなたの隣にいる人の目を見て、話してみませんか。

私は自分の人生を悔いなく、大切な人と一緒に、愛おしんで生きていきたいと思っています。探り探りでも、そうやって懸命に今を楽しむ姿が、巡り巡って誰かの勇気になれば、これほど幸せなことはありません。

「いつか」を「今」に変える。 今日、あなたも大切なあの人と「逢って」みませんか。

あなたはどう考えますか。

この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。

ABOUT ME
小林 雄一
脳卒中リハビリテーション看護認定看護師「看護師失格?」著者 看護師の育成に取り組むと同時に、看護師の対人関係能力向上に貢献するため、面談・セミナー・執筆活動を行っています。