29年の伴走と、最良の別れ――ある街のバイク屋さんが教えてくれた「人生を豊かにする無駄」の愛し方

本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。
現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。
今回のテーマは、「人生を豊かにする無駄」の愛し方です。
突然の報せ
その報せは、あまりにも突然のことでした。
不慮の怪我により、やむなくお店を閉めることになったという風の噂。それは、私が29年もの間、人生の節目節目でずっとお世話になってきた、創業100年を超える街の小さなバイク屋さんでした。
ついこの前まで元気に工具を握り、油にまみれながら笑顔で私の愛車を迎えてくれていた店主さんの姿を思い出すと、今でも信じられない気持ちでいっぱいです。「少なくとも、あと10年くらいは当たり前のようにお世話になるんだろうな」と、私は勝手に思い込んでいました。大好きなバイクの主治医として、人生の良き先輩として、これからも変わらない関係が続いていくのだと、疑いすらしていなかったのです。
本当ならすぐにでも駆けつけて、これまでの感謝を直接伝えたかった。けれど、あまりにも急な廃業ゆえにご挨拶も叶わず、それどころか、直前に通してもらった車検の代金すら、まだお支払いできていないままです。
寂しさや申し訳なさ、そして店主様の状況を想うと胸が締め付けられるような感覚。それらが一気に込み上げる一方で、不思議と私の心には、一点の後悔もありません。 18歳で尾道の街にやってきた青年が、47歳になった今を迎えるまで。店主さんとの間に紡がれた29年間という歳月は、私にとって「最良の別れ」として、今、静かに腑に落ちているからです。
思い返せば、店主さんが私に見せてくれ続けた姿勢は、アドラー心理学の言う「横の関係」であり、「いま、目の前にいる人とその時間を大切にする」ということの、これ以上ない実践そのものでした。
「他店お断り」の店が、お金のない学生に差し伸べた手
出会いは今から29年前の春にさかのぼります。 高校を卒業した私は、看護師になるために看護学校へ入学しました。生まれ育った地元を離れ、右も左もわからない新しい街での生活。そのとき、高校時代から相棒として乗っていた一台の原付バイクが私の唯一の足であり、相棒でした。
ある日、原付のオイル交換をしなければと思い立ち、ふと目にとまったのがそのお店でした。こぢんまりとした、けれどどこか歴史を感じさせる佇まいのバイク屋さん。最初は、オイルを換えてもらったり、タイヤの空気を減っていないか見てもらったりする程度のごくありふれた、どこにでもある「客と店」としてのお付き合いが始まりました。
転機が訪れたのは、その年の6月のことです。 無事に普通自動二輪の免許を取得した私は、嬉しさと有頂天な気持ちのまま、バイクに乗りたくてたまらなくなりました。しかし、学生の身分では新車など買えません。私は地元で人気のある、大きな大手中古バイクショップへ足を運び、そこで250ccの中古のネイキッドバイクを購入したのです。(ネイキッドバイクとは、エンジンやフレームがむき出しになっているオーソドックスなスタイルのバイクのカテゴリ名です。多くの自動車学校で、教習車となっています)
念願の「中型バイク」を手に入れた私は、誇らしげに尾道の街や坂道を走り回っていました。ところが、しばらく乗っているうちに、どうも違和感を覚えるようになります。買ったばかりのはずなのに、エンジンの吹け上がりが悪く、なんだか調子がおかしい。
購入した大手ショップに持ち込んで見てもらおうにも、そこへ行くにはかなりの距離があり、学校の合間に持っていくのは困難でした。困り果てた私が思い出したのが、あの原付のオイル交換をしてもらった小さなバイク屋さんでした。
予約もせず、しかも他店で買った中古バイクを突然持ち込んできた、得体の知れない若い学生。そんな私に対して、店主さんは嫌な顔ひとつせず、ただ「どうしたん?」と大変親身に話を聴いてくれました。そして、私が伝える拙い症状の違和感を聞いただけで、見事にその原因を言い当ててみせたのです。
「学生でお金がないんです。いくらかかるか心配で……」 そう正直に伝えてバイクを預け、ハラハラしながら1週間を過ごしました。そして引き取りに行ったとき、戻ってきたバイクを見て、私は言葉を失いました。
それは、文字通り「見違えるように生まれ変わって」いたのです。
実はそのバイク、前オーナーが大きな事故を起こした形跡のある、いわゆる「事故車」だったことが判明しました。表向きは綺麗に取り繕われていたものの、見えない部分のダメージが各所に悪影響を及ぼしていたのです。店主さんは、走行に必須であるエンジンや足回りのセッティングを完璧に施してくれただけでなく、私が何も言っていなかった、事故の衝撃で微妙に曲がっていたブレーキレバーや、傷ついていたステップまで、すべて新品に交換してくれていました。
そして提示された修理代金は、今思えば部品代だけのとんでもない破格の安さでした。店主さんの技術料(工賃)は、実質タダだったと言っていいと思います。
当時の私はあまりにも若く、世間の相場も職人の技術の価値も知らなかったため、「案外安く直してもらえたな。ラッキー!」くらいにしか思っていませんでした。後になって、そのお店が本来「自店で販売したバイクしかメンテナンスしない」という厳格な方針を持っていたことを知り、当時の店主さんの信じられないほどの配慮と優しさに、背筋が伸びるような思いがしたのを覚えています。
店主さんは、相手がどこの誰だかわからない若者であろうと、他店で買った素性の悪いバイクであろうと、関係なかったのです。ただ「困っている、バイクが好きな目の前の人間」を助けるために、損得勘定を一切抜きにして、見返りを求めない配慮を尽くしてくれました。ここから、私たちの本当の意味での深いお付き合いが始まりました。
人生のグラデーションに寄り添うということ
その250ccのバイクは、店主さんのおかげで最高の調子を取り戻し、私はそれを宝物のように大切に乗り続けました。気づけば約4年という歳月が流れ、私は看護学校を卒業し、無事に看護師国家試験に合格。尾道の医療現場で、プロとしての第一歩を踏み出しました。
就職してからの毎日はいわゆる「怒涛」の日々でした。人の命を預かる仕事の重圧、不規則な夜勤、覚えるべき膨大な医療知識。バイクに跨る時間はおろか、休日にゆっくり過ごす時間さえ満足に取れないほど、多忙な毎日が始まりました。
さらにその後、私は結婚し第一子を授かりました。家族ができ、親となる。その人生の大きな変化の中で、私はひとつの重い決断をしました。
「一度、バイクを降りよう」
生活費やこれからの子育ての費用、そして万が一の事故のリスクを考えたとき、趣味としてのバイクを維持していくことは難しいと判断したのです。大切な250ccのバイクを手放し、そこから私の、長い「バイクのない生活」が始まりました。
やがて第二子も生まれ、我が家は子育ての全盛期を迎えます。看護師としての責任も重くなり、毎日が家庭と仕事の往復だけで精一杯でした。
しかし、その「バイクに乗っていなかった15年間」の間も、私とあのバイク屋さんとの縁が切れることはありませんでした。 子どもの自転車がパンクしたとき、家庭用チャリのブレーキが効かなくなったとき、私はいつもあのお店に自転車を持ち込みました。店主さんは、バイクのときと全く変わらない職人の真剣な目つきで自転車を直し、変わらない温かい笑顔で私を迎えてくれました。
アドラー心理学では、過去の栄光や未来の不安にとらわれず、「いま、ここ」にある時間を懸命に生きることを何より大切にします。 店主さんは、私が「バイクという高価な商品を買ってくれる客かどうか」という条件や利害関係で人を見ていませんでした。その時々で変化していく私の人生のグラデーション、つまり「今は家族のために一生懸命に生き、自転車を必要としている私の時間」をそのまま丸ごと尊重し、等身大の付き合いを変わらずに続けてくれていたのです。
子どもたちが少しずつ大きくなり、それぞれの足で歩み始め、ようやく私自身の心にほんの少しの余裕が生まれた頃。私はふと、心の奥底に眠っていた「また、あの風を感じて走りたいな」という想いが、小さく燃え上がっていることに気づきました。
けれど、まだまだこれから子ども2人には大学進学などの大きなお金がかかる時期です。学費を貯めている真っ最中であり、到底、自分ひとりの趣味のために大きなお金を使い、無駄遣いをすることは許されません。
ある日、私は何気なく店主さんにその胸の内を相談しました。「また乗りたいけれど、お金はかけられない」と。 そのとき店主さんが、私の経済状況や生活背景をすべて察した上で探して、手配してくれたのが、125ccの小型オフロードバイクでした。(オフロードバイクとは、山道や林道・岩場・砂地など舗装されていないあらゆる路面を走ることを想定したバイクのカテゴリです)125cc(原付二種)という枠であれば、車の保険のファミリーバイク特約が使え、維持費も税金も驚くほど安く済みます。今の私の生活サイズに、これ以上ないほどぴったりと美しく収まる選択肢でした。
15年ぶりに跨ったオートバイは、言葉にできないほど楽しく、新緑の匂いや風の冷たさを全身で感じながら、私はその小さな相棒を再び宝物のように、大切に乗るようになりました。
「人生に必要のないもの」が、人生を豊かにする
久しぶりにバイクライフを再開した時期、私の頭の中には、かつて自分が抱いていたある「偏見」に対する答え合わせが始まっていました。
実は以前の私は、バイクについてこんなふうに考えていたのです。 「バイクなんてものは、基本的には若者の乗り物であり、いい年の大人が乗るのは、ごく限られた特別な人だけだ」と。それどころか、守るべき家族がいる良い年齢の大人が、生身を晒して転倒などの危険を伴う危ない乗り物に好んで乗り続けるのは、一体如何なものだろうか、とさえどこかで思っていました。効率や安全、コストパフォーマンスを重視する社会において、バイクはあまりにも不条理な乗り物に見えたのです。
確かに、オートバイという乗り物は、無くても生きるのには一切困りません。 雨が降れば濡れるし、冬は凍えるほど寒い。夏は信じられないほどの暑さに耐えなければならない。荷物は載らないし、車に比べれば事故のリスクだって高い。見方によっては、現代における単なる「贅沢品」であり、究極の「無駄なもの」かもしれません。
けれど、15年のブランクを経て再びハンドルを握り、そして何より、創業100年の看板を背負いながらひたむきにバイクと向き合い続ける店主さんの生き様に触れる中で、私の価値観は180度、覆っていきました。
バイクは、人生を生きるために「必要」なものではありません。けれど、人生を「豊か」にするものではある―。
もちろんこれはバイクに限った話ではありません。絵画を描くこと、楽器を奏でること、旅に出ること、古い家具を直すこと。世の中には、能率や生産性という物差しでは測れないけれど、人の心を震わせるものがたくさんあります。
すべてを効率や正論だけで割り切るのではなく、一見すると生活に必須ではないこと、遠回りな「無駄」に見えることを、心からおもしろがり、楽しめる大人でありたい。年齢や社会的立場なんて関係なく、「いま、この瞬間」を全力で楽しんでいる大人は、なんて素敵なんだろう。店主さんの、バイクのボルト一本を締めるその真っ直ぐな背中は、私に言葉以上のもので、その「大人の粋な生き方」を教えてくれていたのです。
45歳の背中を押した、友人としての言葉
さらに時は流れ、私は45歳になりました。 子どもたちは成人してそれぞれの道を歩み始め、長年続いていた学費の工面からもようやく解放され、経済的にも時間的にも、人生の見通しが立つ年齢になりました。
いつものようにフラリとあのお店に立ち寄り、店主さんと他愛のない世間話をしていたときのことです。店主さんは私の顔をじっと見つめ、悪戯っぽく笑いながら、こう言いました。
「念願の大型免許、いまならとれるんじゃないですか? 諦めていたんだろうけど、まだまだ若いんだから、やってみたら?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねました。 若い頃、お金も時間もなくて乗れなかった憧れの大型バイク。「自分にそんな大きなバイクを動かせるだろうか」、「45歳にもなって、今さら自動車学校で若い人に混ざって教習を受けるなんて無理ではないか」と、一瞬の怯みが頭をよぎりました。
しかし、店主さんの「まだまだ若いんだから」という迷いのない言葉に強く背中を押され、私は一念発起して自動車学校の門を叩く決意をしたのです。
45歳という、肉体的には決して若くない年齢での挑戦でしたが、いざ教習が始まると、驚くほど万事順調にステップが進んでいきました。一本橋もスラロームも身体が自然とバランスをとり、バイクと調和してくれたのです。そして何より、教習の時間が楽しくて仕方がありませんでした。
無事に一発で大型免許を取得できたとき、私はあることに思い至り、目頭が熱くなりました。 なぜ、45歳の私がこんなにスムーズに大型バイクを操ることができたのか。それは、あの15年の長いブランクの間も、そして学費で苦しかった時期も、店主さんが私の生活に合った自転車や125ccのバイクを手配し、私から「二輪車に乗る楽しさ」を奪わず、繋ぎ止め、今を楽しませ続けてくれていたからに他なりませんでした。店主さんは、私がいつか再び大きなバイクに乗る日のために、29年という時間をかけて、私の感覚を、私の心を、ずっと育ててくれていたのです。
晴れて取得した免許証を店主さんに見せ、念願の大型バイクを手配してもらいました。 納車の日の夕暮れ、ピカピカに磨き上げられた大型バイクの横で、自分のこと以上に嬉しそうに、誇らしげに、顔をクシャクシャにして笑ってくれた店主さんの顔を、私は一生忘れることができません。
29年前の出会いから振り返って、私は決して、お店にとって羽振りの良い、たくさんお金を落としてくれるような「上客」ではありませんでした。それなのに店主さんは、ずっと私の人生を見守り、いつか大型バイクの夢を叶えてやろうと、長い時間をかけて並走してくれていたのです。
店主さんと交わしてきた、お互いの子どもの成長の話、仕事の愚痴、お金の話、世間のニュース。 それらは単なる「店主と客」という利害関係の会話ではなく、対等な人間として響き合う、かけがえのない「友人」としての時間だったのだと、今になって強く確信します。
いま、店主さんが向き合っている「時間」に想いを寄せて
だからこそ、いま私の胸を締め付けるのは、長年親しんだお店がなくなってしまうという寂しさ以上に、店主さんの今のお体のことです。
不慮の怪我をされてから、おそらく3か月ほどが経とうとしています。 医療の現場に身を置く看護師という仕事柄、私は怪我の「回復のプロセス」にある現実的な厳しさや痛みを、否応なしに想像してしまいます。受傷されてからのこの3か月間、どれほどの心身の苦痛があり、どれほどの葛藤を乗り越えてこられたか。今もなお、思うように動かないお体や、長期にわたる苦しいリハビリの最中で、孤独な闘いを続けていらっしゃるのではないか。もしかしたら、私たちが想像もつかないような後遺症への不安と、日々向き合っていらっしゃるやもしれません。
技術職として、職人として、100年続いた看板を自分の代で下ろさざるを得なかった店主さんの無念さは、察するに余りあります。自分の身体の一部のように使ってきた工具を置く決断が、どれほど身を切られるような思いであったか、言葉にすることすら憚られます。
けれど今は、どうかその大きな伝統や責任という名の肩の荷を一度下ろしていただき、何よりもご自身のお体を癒やすこと、それだけを考えていただきたいと、切に願っています。
最良の別れ、そして受け取るバトン
お店に何度行っても、シャッターは閉まっています。 けれど、私の心にあるのは「寂しさ」であって、「後悔」はありません。
なぜなら、店主さんはその確かな技術と、見返りを求めない細やかな気遣いを通して、私の中に「人生を豊かにする無駄」を愛する心を、しっかりと育ててくれたからです。29年という月日の中で、私たちは手渡せるものをすべて手渡し合えた。客として、友人として、これ以上ないほど豊かな時間を共有できたからこそ、これは悲劇ではなく、私たちの「最良の別れ」なのだと確信しています。
相手が誰であっても、損得勘定抜きで、目の前にいる人を心から大切にする。 過去にとらわれず、未来を憂えず、お互いの「いま、この時間」を信じて寄り添う。
店主さんがその人生と背中で教えてくれた姿勢は、看護師として医療の現場に立ち、日々患者さんやスタッフと向き合う私自身の、対人関係のあり方にも深く息づいています。私は店主さんから技術だけでなく、人としての生き方を学んでいたのです。
まずは近いうちに、いただいた素晴らしい車検のお礼をきちんとお支払いし、療養中の店主さんのご負担にならない形で、私の精一杯の感謝をお手紙に託して届けるつもりです。
店主さんの怪我が一日も早く快方に向かい、心身ともに平穏な日々を取り戻されることを、遠くから祈り続けています。
たとえ店主さんが工具を置くことになっても、私にくれた「今を楽しむ心」は、私がこの大型バイクで走り生き続ける限り、世界のどこかで輝き続けています。受け取った温かいバトンを、今度は私が、私の仕事の現場で誰かに手渡していく番です。
「人生を豊かにする 無駄」
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この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。







