本記事は対人関係に悩みを抱える人が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りしています。

現場の看護師から受ける相談や、私が経験した事例をもとに一緒に考えていきます。

今回のテーマは、「働いている自分」しか愛せなかった。-1週間の強制終了がくれたもの-です。

「働いている自分」しか愛せなかった

思えば長年、組織の中で責任ある立場を担い、走ってきました。


「しっかりしなければ」「自分が牽引しなければ」―そんなプレッシャーを日々抱えていたように思います。もちろん師長という立場上、同僚や家族には話せない判断や機密情報・守秘義務もあり、その重みを抱えることは避けられません。それでも、周囲の仲間を心から信頼しているつもりで、前を向き続けていました。気づけばそれが、自分のデフォルトになっていたのです。

そんな中、私は突発的な体調不良により、1週間のお休みをいただくことになりました。日頃の生活習慣の乱れによるものではなく、自己免疫疾患の発症でした。自分ではどうしようもない病に見舞われたのです。

突然立ち止まらざるを得なくなったとき、仲間が私の不在に対して見せた表情は、寂しさではなく「どこかホッとしたような」安堵の色でした。
そのとき一瞬よぎった「自分はここに居なくても良かったのかな」という寂しさの正体を、私はあとからゆっくりとたどることになります。

休む恐怖の正体は、「嫌われること」ではなかった

「休んだら、周囲に迷惑をかけるのではないか」「嫌われるのではないか」。そう思っていたのですが、どうやらそれは表面的な言い訳にすぎませんでした。

心の奥底にあった本当の恐怖は、もっと別の場所にあったのです。
それは、「現場で働いていなければ、自分の価値が下がってしまうのではないか(あるいは、無いのではないか)」という強烈な錯覚でした。

思い返せば、そうなるだけの兆候はいくつもありました。


親友は、二人きりになったとき、何度か声をかけてくれていたのです。
「すごく怖い顔をしているよ」
「仕事、忙しいんじゃないの?」

そのとき、私は「全然そんなことないよ」と、どこか平気な顔をして答えていました。自分では思い当たることはないつもりでした。いや、本当は気づかないようにしていたのです。自分のなかの張り詰めた糸が切れてしまうのが怖くて、必死に蓋をしていたのでしょう。誰よりも先に、親友は私の限界に気づいてくれていました。

そうであるなら、職場の仲間も、きっと私が発しているサインに気づいていたに違いありません。

働いていなければ価値がない

「働いていなければ価値がない」


もし心のどこかでそんな前提に囚われているとしたら、それは自分の首を締め続けるだけでなく、もっと恐ろしい危うさを孕んでいることにならないでしょうか。
自分が気づかないうちに、その同じ物差しを「働けない他者」や「休んでいる人」にも無意識に当てはめてしまっているかもしれない。そんな振る舞いをしてこなかったとは思いますが、人間の認知の深層に潜むそのバイアスの危うさに、私は冷や汗をかきました。

「あぁ、この人も同じ人間だったんだ」
こうして強制的に休職を余儀なくされ、周囲が浮かべた安堵の色を見たとき。
もちろん、相手の心の中を覗き見たわけではありません。これは私が勝手に貼り付けた「主観的な意味づけ」にすぎません。

しかしその瞬間、私の中にあったのは寂しさでも拍子抜けでもなく、「なるほど、見事にボロが出ていたわけだ」という、どこか脱力したような苦笑いでした。

思えば、これまでも「自然体の自分でいよう」「肩の力を抜こう」と、自分なりに心がけてきたつもりでした。それなのに、いつの間にか「完璧な状態でなければ自分の価値が保てない」という認知のゆがみに囚われてしまう。その繰り返しでした。決して完璧になどなれないのに。

周囲がホッとしたのは、私が何かから追われたからでも、軽んじられたからでもありません。
「あぁ、小林も無理をすれば倒れるし、休むこともある生身の人間なんだ」と気づいて、皆の肩の荷がようやく下りた瞬間だったのではないでしょうか。

「役割の鎧」を脱いで見えた景色


自然体でいようと努めてきたはずの私が、それでもなお手放せずにいた「役割の鎧」。
それを今回の突発的な病という強制終了が、半ば強制的ではあったけれど剥ぎ取ってくれました。
縦の関係を厳に慎み、横の関係を築こうと努力していたはずが、-私は未だ縦の関係から抜け出せていなかったのかもしれない-そう思います。

「自分がいなければ組織は回らない」などという自負は、振り返ればただの過剰な思い込みであり、ある種の「奢り」でしかないのです。
自分がその場を離れても、現場はちゃんと自立して回っていきます。

その鎧を脱ぎ捨てたとき、初めて見えた景色がありました。
縦の緊張関係はほどけ、組織の中に本当の意味での「横の関係」が生まれていたのです。そして私自身も、「働いている自分」という条件付きの価値から、すこしだけ解放されていくのを感じました。

今回の1週間は、過去のどの反省とも違う、もっと根っこからの「人間への復帰証書」だったのかもしれません。

おわりに


「働いている自分」に価値の多くを預け、知らず知らずのうちに自分をすり減らしていませんか?

役割という鎧を一枚脱ぎ捨てたとき、そこに広がる景色は、思っている以上に風通しがよく、あたたかいものかもしれません。

あなたはどう考えますか。

この記事に登場する人物・事例・団体などはすべて架空のものです。筆者の所属施設・関連施設とは一切の関係はありません。プライバシーに配慮して、実際の事例をもとに内容を構成したものを掲載しています。

ABOUT ME
小林 雄一
脳卒中リハビリテーション看護認定看護師「看護師失格?」著者 看護師の育成に取り組むと同時に、看護師の対人関係能力向上に貢献するため、面談・セミナー・執筆活動を行っています。